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 発達に関する仕事をしていると、当然のように「しつけ」のことについて話題が出ます。

 「○○できないんですが、○○するように強制した方がいいですか」「やってはいけないことをいつもしています。ダメって何度も止めてよいですか」

 こうした発言の裏には、特に発達障害をもっている子どもたちのしつけの難しさが表れているように思います。それまで多くの努力を親御さんがされていても、なかなか望ましい行動にならない、あるいは、周りと調和した行動ができないのは困ることだろうと思います。

 もちろん、子どもは悪気があって、そうなっているわけではないのですね。でも、なかなか周りに及ぼす影響について、相互的に理解するのが難しいのですね。

 「しつけ」は通常、基礎的なやりとりが成立してから、大好きな大人の生活や態度に関心をもちながら、積極的に真似をする「憧れ」のようなものが発達的には関係してきます。

 1歳児クラスの子ども達が、はけない靴下を一生懸命引っ張ったり、ズボンを頑張って履こうとするのは、たいていの場合、しつけをしようとする以前に起こってきます。

 ですから、「しつけ」には、こうした関心の広がりが準備として整っているかどうかを見極めていく必要があるし、整っていないならば、まだまだ日常的に意識して「見せる」工夫がいるわけなのですね。

 興味が薄いものは教えられない・・・これは後の勉強だってそうですね。自分でその活動の流れが何度か見てわかっていて、真似をしたい憧れの気持ちに従いながら、「できた経験」を繰り返していく。そういうのが大切なのだと思います。

 さて、このことを話すといつも想起するのは、ベイトソンという文化人類学者の学習理論についてです。「人は体験から学ぶ」し、体験以外のことを学習するのは難しいのです。

 例えば、ベイトソンは、知識からは学習の過程を踏めないと言います。丸覚え的な知識は学習にはならないという説明なのですね。

 言葉を用いて知識だけを伝えても、新しい体験にはならないのですね(思い当たる節はありますか?)。体験から子どもが得た感覚に、名付ける(説明する)とそれが理解に結びつくことがあるのですね。

 また、成功ということが意識できる「学習」のためには、「失敗」が必要だとしているのもユニークです。失敗しないと、その差異に気づかないからなんですね。そして、その失敗に気づいて、それをリカバーする方法を見つけたときに学習が成立すると言われています。

 私たちは、最初はできなくても、本人のタイミングで「する気になった時に」、リカバーしてできた経験を大切にしようと、よく話しています。

 子どもは誰でも、体験から外側の世界の一部を取り込み、自分の理解をのばしていきます。子どもが自発的に状況に適合・変化することがミソです。

 そして、教育とは、「指示してやらせること」や「間違いを教え込むこと」ではなくて、子どもが自発的に学ぶための環境整備のことを言うのですね。



 
 

 
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